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こちらのページでは、私が日々感じたことを、フランスに関係したことだけではなく、いろいろと綴っていきたいなと思っています。かなりわがままで、突飛な発想が飛び出すかも知れませんが、バカだなあと、思いながら、楽しんで読んでいただければ幸いです。

フランス滞在記vol.3

 さて、今日はドメスティックトラブルはちょっとお休みして、私が、経験したフランスの日本でいうところの文部省にあたる、MINISTRE DE L’EDUCATION NATIONALE CHARGE DE LA JEUNESSE ET DES SPORTSが、フランス革命200周年に当たって企画した、国際アーティスト研修でのカルチャーショックなどについてお話ししたいと思います。

 私は、1989年の6月に渡仏しましたが、アパートを借りて一と月しないうちにParisの郊外にある公の研修施設で、やや世界中の(といっても、国交のある国、アジアティックは私ともう一人の日本人だけ、ヨーロッパ各国とアメリカ・エジプト・レバノン・シリア人など100人余りの)人たちと約3週間寝食を共にしました。
 
  まず、初めにその研修施設ですが、それはそれはステキなところでした。MARLY-LE-ROIという、Parisから電車で30分くらいのところの閑静な住宅街にある施設で、そこはまず、敷地が広い!そしてそのなだらかな起伏がある広ーい敷地には芝生が敷き詰められ、木も所々に生えていて、どこでもすぐにピクニックを始められるような(実際いつも、みんなそこでゴロゴロしていた)気持ちの良いところで、そこに様々な施設があるのです。宿泊所や食堂、会議場・事務室などがある一番大きな建物を初め、たくさんのアトリエが大小目的別 に建てられており、私は全部は見ていないけど、わ、こんなとこにもある、みたいな?ほんとにたくさん、しかも小さなシャトー(城)まであって、雰囲気満点。部屋は二人で一部屋で、至ってシンプルだけど現代的なお部屋。、朝昼夜とご飯も出してくれて、その間それぞれ所属するアトリエでプロジェクトを考えて一緒に作業をする。そのテーマはずばり、Bicentenaire de la révolution française.。フランス革命の200周年です。 

  話は戻って、まず生活についてです。私のルームメイトは、40代くらいのユーゴの女性でした。小学校の先生と言っておりました。とっても知的で優しいお母さんタイプの方。私は、彼女といるととてもリラックスできたし、すぐになじんでしまいました。彼女は色んなアドバイスもしてくれたし、言葉のおぼつかない私にいつも親切にしてくれました。

 食事は、一応フランスの家庭料理が毎食出てきて、ちゃんと、夕食は前菜・スープ・サラダ・メインディッシュはたいてい肉料理で、 朝はビュッフェスタイルだったかなあ(パンとかシリアルとかヨーグルトとか果 物)昼はよく覚えてないです(あんまり食事に興味のない私)。でも、そこで後にも先にも初めてウサギを食べました。その肉を見たとき、鳥にしては骨の付き方がしっかりしている、でも、豚とかじゃ全然ない…これはこれは…もしかして、もしかすると…ウサギッ!?ら・ら・らぱんんっ!?と周りに言うと’そうだよ’、と。わたしは、人差し指で涙のジェスチャーで”かわいそう(; ;)”と言いながら、しっかり命頂いてきました。まあ、普通に美味しかったです。
 と言う具合に、至れり尽くせりの毎日。その上、200周年のパレード見物の特典付き(何せ、国の企画ですから・でもシャンゼリゼ通 りの木に登っての見学でした・熾烈な場所の取り合い有り)で、ジェシーノーマンのマルセイェーズ”La Marseillaise”がParisにとどろくのも聞けて、まるで、エルメスのスカーフの柄のようなParisの街いっぱいに打ち上げられた花火も観れてかなりの感動でした。 

  で、私の、アトリエは何だったかというと、建築と舞台美術(空間デザイン)の人たちが集まったものでした。そこで、年の頃は20代前半、同じような世代の人が8人いて、テーマは”ユートピア”ということで、巨大じゃばらを幾つも作りました。
 しかし、しかし、面白いもんでやっぱり気の合う合わないが出てくる。あの人はサボっているとか、話が通 じないとか…。初めは私、言葉がよう解らないもんで揉めていることにもあんまり気がつかなかった。で、結局は、二手に分裂しちゃって、私はどちらとも仲良かったのでまあ、まあそんなに怒んないでもという感じ?堅めとゆるめで喧嘩になったというか…。東洋人が一人いると異質なのがよく作用していたのは感じる。私はよく言葉がわかんなかったし、きっとボーっとして見えて安心されたんじゃないかな。よく笑いをとっていましたから。でも、彼ら仕事しなくなっちゃうんですよね。いつも芝生でゴロゴロ(ほとんど裸で)。
 それじゃあ、なんかマズいってことでわたしもいつまでもボーっとしてないで(いつも、言葉もわかんないしあんまり出しゃばってもいけないとわざと子供っぽく振る舞ってた部分もあり)喧嘩に巻き込まれなかった、やる気のある人たちといっちょやるかって感じで、大学で大工(大道具)の修行を積んだ経験を生かし、後は対立組も日によっては戻ってくれたりして、なんとかやりました。指導員の人もいたけど(要はその人が最初の基本プロジェクトを考えてきた)よく居なくなるし、頼りないし、なんの解決にもなりませんでした(頼らなければならないこちらにモンダイ有りっ!かな)。でも、私が思ったのは西洋の人も、人の子だーということ。その感情、人としての見栄とか意地とかトラブルの時の対処の仕方とか、西洋人ぽいなっという所と、日本人と同じーと感じる所と両方あって大変興味深かったです。それから、お国柄もそうだけどやっぱ色んな国の人が混じっていた方が面 白いのかもね。

 でも、話はずれるけど、こないだTVで、離れ小島で色んな国の若い女の子たちがサバイバルをするという企画ものの番組があったのね。で、その中のアジアの子が、西洋人の子たちは働かないと怒って企画を降りたんです。日本人の子も泣いていて。その降りた子が最後の日に通 訳を呼んで西洋の女の子たちに(フランス人も居ました)どうして、一緒に働かないのか、あなた達はアジア人を馬鹿にしていると言って去っていったら、そのフレンチの子はすごい汚い言葉でその女の子を罵ったんです。そのシーンを見て”あ・あら…私もそういうことだったのかしら?”なんて今更ながらに思ったけれど、私はどちらの子たちともキチンと心の交流をしていたし、喧嘩も人間だなあなんて、のんびり思ってた所がめでたい所であって、あの場には合っていたのかも。対処の仕方も百人居れば百通 りなのでしょう。おかげで、私はヨーロッパ中に友達ができて、旅行の際も泊まる所には困りませんでした。 

 さて話は戻り(丁寧に書くと長いねぇ)、その研修の最後の日は、La Fête(お祭り)!それぞれの、アトリエで作業してきたものを発表する日です。ほかにどんなアトリエがあったかというと、音楽・舞台衣装・演劇・絵画・マリオネット等がありました。それから、それらをまとめるセクション。最後の日はうちらは、その巨大じゃばらを芝生にインスタレーションして伸ばしたり縮めたりして、写 真撮って遊びました。それから、夜まで他のアトリエの発表を見て大騒ぎして。

 そして次の日はさようなら。仲良しさんたちで、友達を駅に見送りに行ったり、Parisでお茶飲んだり。何故か、カップルになってしまっている人たちもたくさん居たので、お別 れはなっげーなげー(長い、という意味)ずーっと、ちゅっちゅしているのを待たなければなりません。面 白いもんで普段でもグループで歩いていてその中にカップルが居ると、道で突然、s’embrasser(抱き合ったりキスしたり)が始まるのです。その間、その他の人はだまーっておとなしく待つのです。あれには、驚きました。いつ、もよおしてくるか分からないのですから。世界って面 白いですね☆ 

 その研修のおかげで私はたくさんの友達ができて、後にルームメイトとなる人とも出会えて、良かったなぁ。 言葉もみんな親切にいつも教えてくれたし、私はいささか日本人ぽくはないけれどでも、やはり日本人だなっていう所も確認できて、周りもマリコ(昔の本名)は日本人ぽくないとよく言っていたけど、でもその方がみんな日本を感じやすかったのかも。スッゴク日本人だと逆にどう取っついて良いか分からないっていうとこもあるんじゃないかな? 

 そういうわけで、これが、結構私の中では大きなフランス生活の初めの方の大イベントでした。こういう体験ができて本当にラッキーでした。でも、今、このほとんどの友達と音信不通 なんです。帰ってきてからの気配りが足りませんでした。かなり後悔しています。でも仕方ないか。自分が悪かったんだし、その時はこんなことになるなんて思いも寄らなかったんだもん。今ならね、メールとかもあるし、自分も大人だし…あんなヘマはしない…。ああ、みんな元気かなあ…会いたいなあ…。
J’ai perdu une grosse fortune(×_×)(友達は財産)

  でも、そうだ!実家の住所が分かる人に手紙でも書いてみようかな、C’est une très bonne idée! みなさん、またまた読んでくれて、ありがとう!

  次回へつづく。